大仏(盧舎那仏坐像:るしゃなぶつ) 〔東大寺〕

多くの人が東大寺と聞いて思い浮かべる「奈良の大仏」は、正式名称を東大寺盧舎那仏坐像(とうだいじるしゃなぶつざぞう)と言います。

東大寺南大門をくぐり抜けて100mほど進むと、東大寺大仏殿(金堂)の中門に到着します。
ここで左折して中門から伸びている回廊沿いに西方向に進んでいくと、大仏(盧舎那仏坐像)が納められている東大寺金堂への入口に到着です。

奈良の大仏と言えば、まずはその大きさがイメージされますが、実際に東大寺大仏殿(金堂)を目の当たりにすると、その大きさに圧倒されます。
明治時代に建てられた東本願寺御影堂とともに、日本最大級の木造建築物であることを実感出来るスケール感です。
更に驚くのは、中門から大仏殿までに巨大なエリアが確保されていることです。
奈良時代に創建された八角灯籠が立っているだけなので、中門側から東大寺大仏殿(金堂)を綺麗に写真に収めることが出来ます。

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その大仏殿(金堂)に一歩踏み入ると、いきなり大仏(盧舎那仏坐像)が姿を現します。

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この巨大な大仏(盧舎那仏坐像)の製作を命じたのは、聖武天皇です。
奈良時代前半は近江国紫香楽宮、恭仁宮、紫香楽宮、難波宮と都を転々としており、大仏の製作も紫香楽宮で始まりました。
平城京に都が戻り、東大寺での大仏製作が始まったのは745年(天平17年)で、752年(天平勝宝4年)に魂入れの儀式である開眼供養会(かいげんくようえ)が行われました。
その後、経年劣化による亀裂や傾きや、855年(斉衡2年)の地震で首が落ちる等のトラブルを修理でしのいできましたが、源平争乱期(平重衡の兵火)、戦国時代(三好・松永の戦い)という2度の兵火で、東大寺金堂とともに大仏(盧舎那仏坐像)は焼失しました。
現在見ることが出来る東大寺大仏殿(金堂)は、正面の幅57.5メートル、奥行50.5メートル、高さ49.1メートルとなっています。
高さと奥行は奈良時代の創建当時とほぼ同じですが、幅は創建当時の約3分の2になっています。
大仏殿内には如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像も大仏の脇侍として左右に安置されています(こちらは江戸時代の仏像です)。
また、四天王のうち多聞天像と広目天像も、大仏殿奥に安置されています。


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