興福寺 国宝館

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藤原氏の氏寺であった興福寺は、3つの金堂や五重塔、それに食堂などが整然と配置されていました。
しかしながら、戦火による消失と再建を繰り返してきた結果、現在の興福寺には西金堂のように跡地になっている場所や、いまなお再建中の部分が数多く残っています。
食堂(じきどう)も例外ではなく、明治7年(1874年)の廃仏毀釈の時に取り壊されてしまいました。
その跡地に、興福寺文化財の展示施設として1959年に建てられたのが国宝館です。
コンクリート造りながら食堂の建築様式が取り入れられているようで、五重塔、東金堂といった室町時代の歴史的建造物の横にあっても、違和感はありません。
国宝館内部には、興福寺の数々の建築物内に安置されていた仏像等が多数展示されています。
入館料が500円必要ですが、その名の通り国宝が多数収められている国宝館は、大変満足度の高い展示施設です。


〔国宝館内に安置されている主な仏像〕
(1)木造千手観音立像
食堂(じきどう)本尊だった木像で、国宝館のほぼ真ん中に安置されています。
この千手観音立像は、鎌倉時代の寛喜元年(1229年)頃の作品で高さが5.2mあり、国宝館内部でも一際目立っています。
(2)乾漆八部衆立像
西金堂の本尊であった釈迦如来像の周囲に配置されていた群像で、その名の通り五部浄、沙羯羅、鳩槃荼、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅の8つの像からなります。
このうち緊那羅は、奈良国立博物館に寄託されています。
中でも、圧倒的知名度を誇るのが端正な顔立ちの3つの面と6本の手(三面六臂)から成る阿修羅像です。
仏像関連書籍はもちろんのこと、様々な媒体で取り上げられることの多い阿修羅像は、仏像界で最大の人気者です。
実際の阿修羅像は、書籍やテレビで見た印象より少し小さく感じるかもしれません。
しかし、6本の手の細やかさや憂いを含んだような阿修羅像の表情は、期待を裏切ることはありません。
他の乾漆八部衆立像がかなり勇ましい姿だけに、阿修羅像の繊細な容姿が際立って見えます。
(3)乾漆十大弟子立像
乾漆八部衆立像とともに西金堂本尊だった釈迦如来像の周囲に配置されていた群像ですが、4体は失われており、残りの4体が国宝館、2体が奈良国立博物館に展示されています。
尚、西金堂から移設されたその他仏像として、木造天燈鬼・龍燈鬼立像、木造金剛力士立像、西金堂の旧本尊である釈迦如来像の頭部である木像仏頭等が展示されています。
(4)山田寺仏頭(薬師如来仏頭)
巨大仏像の頭部だけが展示されている様子が印象的な山田寺仏頭は、もともと興福寺の僧兵が飛鳥の山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、東金堂の本尊としたものです。
応永18年(1411年)の落雷火災により、お堂が消失して薬師三尊像の胴体は失われましたが、頭部に傷を負った仏頭が昭和12年のお堂修理の際に須弥壇の下より発見され、山田寺仏頭として国宝館に展示されています。


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